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「令和」になって1ヶ月。「平成」を振り返る。

 2019-05-31
今年のお正月明けにブログ更新して以来、何も書かず、平成も終わってしまいました。
そして、令和が始まってすでに1ヶ月。

相変わらずのブログ不精でございます。

そんなわけで、今更ですが「私の平成」をかなりざっくり振り返ってみたいと思います。

平成が始まったのは、1989年1月8日。

私は小学6年生でした。
ちょうど3学期が始まったばかりのタイミング。

その前年の暮れから、テレビからは昭和天皇の体調に関わるニュースが継続的に流れ、
社会には「自粛」が広がり、あまり明るくない空気が漂っていました。

そして、昭和64年1月7日の朝。
学校に行くために準備をしながらテレビをつけていたら、
聞きなれない不気味な音とともに、真っ黒の画面に浮かび上がる「天皇陛下崩御」の文字に、
なぜが背筋に寒気が走ったのを今でも忘れることができません。



昭和天皇への「喪に服した」状況で幕を開けた平成の時代。

その3ヶ月後、私は中学生になります。
おそらく、今、「このブログを書いている私」に繋がる全てのきっかけは
中学生時代だったので、昭和生まれとは言いながらも、私を形成する全ての要素は
「平成」に詰まっていたのでないかと思います。

ここからは駆け足で。

<平成元年>
中学校でイジメに遭うも、校内の「意見発表会」で机を叩くというパフォーマンスを披露し、存在感を示す。
NEC PC-9801RX2を買ってもらう。

<平成2年>
1年生の時のイジメ経験を元にし「少年の主張大会」に出場。
ビデオカメラを買ってもらう。
初めて女性に告白するもフラれる。
山田邦子さんのモノマネを入り口に、武田鉄矢さんの存在を知る。
生徒会長選挙に出馬し、落選。
海援隊のベストアルバムCDを買ってもらったことをきっかけに、
武田鉄矢さんの詞の世界に惹きつけられる。

<平成3年>
ビデオカメラで学校行事などを撮影しまくる。
編集機器を買ってもらい、オリジナルの番組(自分しか見ない)を作りまくる。
カセットデッキを駆使し、オリジナルのラジオ番組(自分しか聞かない)を作りまくる。
ドラマ「101回目のプロポーズ」を見て、武田鉄矢さんの演技に惹かれる。
沖縄での武田鉄矢コンサートの終演後に出待ち。話しかける。

<平成4年>
中学卒業。
高校に入学し、演劇部に入る。
ホームステイとして2週間渡米。

<平成5年>
夏に演劇部を退部。

<平成6年>
高校3年。放送部の再興に関わり、昼食時間に毎週30分の校内レギュラー番組を持つ。

<平成7年>
阪神淡路大震災が発生。
県内4高校の演劇部が合同で開催した震災チャリティー公演に参加。途中参加メンバーだったが、ラジオカーリポートに出演したり、ラジオ番組にFAXするなど広報として奔走。
高校卒業後、芸能メディア系の専門学校に入学。
某ファストフード店でアルバイト。
RBCのリポーターオーディションに合格、「ゆん卓サンデー」に出演。

<平成8年>
「ゆん卓サンデー」番組リニューアルを期に裏方に転向。
ADとして4年勤務。

<平成11年>
TBS「オールスター感謝祭」の企画で、RiskyとしてCDをリリースした島崎和歌子さんの
沖縄キャンペーンを企画。ADの立場ながら、プロジェクトの企画運営を行う。
「ゆん卓サンデー」シリーズの番組終了とともに、ADとしての勤務を終了。
現在も所属する会社に入社。ディレクターとして勤務開始。

<平成15年>
8月10日の沖縄都市モノレール開業に合わせ、1時間40分の生放送「情報コンビニ龍の髭・ゆいレール夢発進スペシャル」を企画演出。
関東FM3局とRBCiラジオの共同制作「OLEっち」のテレビ版を手がける。

<平成17年>
「沖縄美的音楽番組・耳薬時間」の立ち上げに関わり、総合演出を担当。

<平成28年・平成29年>
RBCの伝統的番組「新春民謡紅白歌合戦」の構成演出を担当。

<平成29年>
初めての全国ネット番組「日本のチカラ・赤い果実は町の宝~沖縄県本部町のアセローラ~」を取材・編集・演出。
専門学校時代からお世話になっている八木政男さんのドキュメンタリー「JNN九州沖縄ドキュメント・ムーブ “ウチナー”をつなぐ ~俳優・八木政男の“沖縄”~」を取材・編集・演出。
沖縄芝居の大女優・北島角子さんの追悼番組を担当。

<平成30年>
「沖縄BON!!」最終回の特集として、沖縄喜劇の女王・仲田幸子さんを取材。
長年勤めた情報バラエティー・芸能を離れ、ニュース番組の部署に異動。

とてもざっくり振り返るとこんな感じです。
要するに、私のテレビ屋人生のきっかけも道筋も全て「平成」の出来事だったわけです。

そして、平成最後の1年間。
沖縄では現職の知事が亡くなり、
その後継として知事に就任したのが、私がAD時代にお世話になっていたタレント・玉城デニーさん。
当選翌日の夕方ニュースに生出演していただいたのですが、その日の番組ディレクターが私だったので、とても感慨深い気持ちになりました。

平成最後のニュース生放送、
令和最初のニュース生放送、
両方とも担当させていただきました。
テレビ屋として、とても光栄なことです。

現在は、日々のニュースを放送に乗せながら、
この半生の総括をしております。データ整理とか色々。

さぁ、「令和」の時代。
私はどう生きていくのか。
模索が続いております。

定期的にブログ書かないとなー。









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小学生の私に「39」~“南野陽子さん”に想う①~

 2016-03-04
※とても長い記事になってしまったので、3部作にしました。
お時間のある時にお付き合い下さい。



2016年2月21日。

昨年9月からの私は、沖縄BON!!の「KOZAナイトツアー」「ハロウィン」に加え、
「新春民謡紅白歌合戦」など様々な特番に向き合いつつも、
その2月21日を目指して走っていた。

きっかけとなったのは、
「ゴールデン☆アイドル 南野陽子 30th Anniversary」というCDの
リリースが決定、予約が開始されたことだ。
GDI00006_jpg.jpg

南野陽子さんがデビューしたのが、1984年。(CDデビューは1985年)
その頃の私は8歳。小学2年生だった。

幼い頃の僕は、一風変わった少年で、
まぁ、そもそも、沖縄には無い苗字なので必然的に目立つわけだが、
そこに輪をかけて、校内放送のテレビで落語を披露してみたり、
遠足のバスの中で司会をしてみたりと、
まぁ、今やってることの原点とも言える様な少年時代を過ごしていた。

テレビっ子だったが、好きなテレビ番組は、ニュースとバラエティー。
登校前に見る、朝の「NHKニュースワイド(今のおはよう日本)」が大好きで、
バラエティーは「欽ドン」「全員集合」派だった。

一方、小学生が好みそうな「アニメ」「戦隊モノ」「ライダー」「アイドル」には
とんと興味を示さなかった。

そんな私が、確か小学5年生の頃(だったと思う)に、初めて「芸能人のファンクラブ」に入った。
それが、南野陽子さんのファンクラブだった。

ファンクラブの名前は「NANNO CLUB」

親衛隊や生粋のファンの方には申し訳ないが、
僕はそれまで南野陽子さんについてあまりよく知らなくて、
意識的に南野さんのテレビ番組を見るというようなことはなかった

まぁ、アイドル自体に興味が無かったので…。

そんな私が南野陽子さんのファンクラブに入った理由は、
1)南野さんが初恋の女の子に似ていた(アゴのホクロも同じ位置)ことと、
2)友人が南野陽子さんのファンだったこと
良くも悪くも私は奇特な少年で、勉強もスポーツも苦手、
名前は本土苗字、比較的浮きがちだったが、
アイドルの話をする友人が大人っぽく見え、何か背伸びをしたかったんだろう。

母に頼んで、ファンクラブに入会させてもらった。
確か、2年くらい入ってたと思う。(中学入学と同時に辞めたはず。)

その後、中学2年生で海援隊の音楽に出会い、
高校生で武田鉄矢さんのファンクラブに入るわけだが、
やはり、南野陽子さんの存在は他の芸能人と違う感覚で
私の目に映るようになっていた。


Facebookを始めて、南野さんが公式Facebookページを開いているのを知り、
迷わず「いいね」を押し、継続的に南野さんの投稿・情報が
確認できるようになった矢先のCDリリースとコンサート開催の報。

ご本人も「もしかしたらこれで最後」とコメントされていたので、
簡易保険の満期保険金という臨時収入を活用して、
早々と飛行機を押さえ、宿を押さえ、
CDを購入し、別々の先行予約でコンサートチケットをゲットし、
日々使うお金を節約しながら、2月21日に備えてきた。

今、私は39歳。
前のブログにも書いたが、40歳を手前に、これまで「今の私」を作るために
お世話になってきた人たちや事象たちへ感謝(39=サンキュー)しながら時間を過ごしている。


そんな中、南野陽子さんのコンサートへ向けて着々と準備を進める自分の心理は
一体なんなのか
、ふと考えてみた。

そうだ。小学生の頃の自分への「感謝」なのだ。

実は、中学生の頃から追いかけ続けている武田鉄矢さんは、
この業界に入ってから、一度「お仕事」をさせていただくチャンスに恵まれたことがある。


2002年に、海援隊が沖縄で行うトーク&ライブツアーの主催が我が職場がある放送局で、
主管部署の局長が私のテレビの師匠であったこともあり、
ファンクラブ会員として、お手伝いしないわけにはいかなかったのだ。
直前のテレビ・ラジオキャンペーンのゲストコーナー構成、
ライブで1曲カット割りして録画させて頂いたり、
開演前・終演後の陰アナウンスもさせていただいた。
つまり、20代半ばで、私は「中学生の頃の私」に対する
感謝のご褒美を獲得していたのだ。


しかし、それ以来獲得していないもうひとつの「ご褒美」があった。

であるならば、今回の南野陽子さんコンサートへの遠征が紛れもなく、
グレることなく、しっかり小学校を卒業してくれた、
“子供の自分”に対する感謝のご褒美
なのだ。

コンサート当日、会場で南野陽子さんのステージを観ながら、
私は心の中で、“子供の自分”にずっと話しかけていた。

「コツコツ頑張れば、キミがファンクラブに入っている
南野陽子さんに会える将来が待っているよ。
今までありがとう。」



(第2弾に続く)


【番組放送告知】ダウン症児者のダンスチームを取材しました

 2015-07-17
TwitterとFacebookで頻繁に更新しているので、
なかなかコチラのブログが…(苦笑)。

さて…

ウチナーコンボイ・テレビ屋生活20周年アニバーサリー
第四弾の番組が、明日土曜日に放送されます。
(またしても前日告知…汗)

沖縄BON!!ロゴ(完全版)

沖縄BON!!
7月18日(土)正午~午後12時57分放送
RBCテレビ(デジタル3チャンネル)

MC/狩俣倫太郎RBCアナウンサー)・知念臣悟パーラナイサーラナイ)・玉那覇由規

<特集コーナー>
一人ひとりのダンス!
~ダウン症児者のダンスチーム「沖縄ラブジャンクス」初ライブに密着~


遺伝子の21番染色体が3本あることで、
成長が遅かったり、合併症が起きたりする先天性の性質のことを「ダウン症候群」と言います。

そんなダウン症候群の子どもや若者たちが参加するダンスチーム「ラブジャンクス」

2002年に活動を開始したラブジャンクスが、
沖縄でのレッスンを始めて今年4年目。

そして、去る6月21日に、沖縄ラブジャンクスが初めての単独ライブを開催。
関東・関西のチームから応援も合わせた106名が、
会場全体に、そのパワーをぶつけました。

今回の特集では、ライブ本番のダイジェストに加え、
沖縄ラブジャンクスのレッスンの模様、
ラブジャンクス誕生の背景、参加するメンバーの素顔に密着します。

ダウン症児者を家族に持つ皆さんはもちろん、
ダウン症について何も知らないという皆さんにも、
ぜひ、ご覧頂きたい特集です。



この企画のきっかけは、
ラブジャンクス代表の牧野アンナさんから頂いた一通のツイートリプライからでした。
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牧野アンナ @lovejunx210
@Uchina_Optimus 6/21の沖縄ラブジャンクス1stライブ、
ぜひRBCでも取り上げてくださーい\(^o^)/
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沖縄にずっと住んでいる30代以上の方には、おなじみの名前かもしれませんね。

沖縄アクターズスクールのチーフインストラクターとして大活躍されていました。
沖縄テレビの「BOOM BOOM」という番組内でも発揮されていた、そのスパルタ指導ぶりが
記憶に残っている方もいるでしょう。
(ちなみに、BOOM BOOMのMCをしていたDJ岩井こと岩井証夫氏は、
現在、特にTBS系列のスポーツ特番などで、ナレーターとして活躍中!)

私がテレビの世界に飛び込んでから1年後の1996年、
ちょうどSPEEDがデビューしました。
安室奈美恵さんを筆頭に、まさに「沖縄ブーム」が到来していた時期でした。

そして、その人材を発掘・育成していた沖縄アクターズスクールにも当然注目が集まりました。

沖縄テレビでは、アクターズ選抜メンバー・B.B.WAVESが出演する音楽バラエティ番組を放送していましたが、
琉球放送では、特別番組やレギュラー番組「ゆん卓サンデー」の特集などのドキュメンタリーで、
アクターズスクールのレッスンなどに密着し、
生徒たちの指導者として活躍していたアンナさんも取材しました。

その際私は、ADとして取材に同行したり、編集をしたり、
時には、小型カメラを持って撮影に向かったりもしました。

(ちなみに、そのドキュメンタリーを担当していたプロデューサー兼ディレクターが、
私にテレビのいろはを教えてくれた師匠です。)

出演者のアテンド担当として、
ゲストだったB.B.WAVESの引率をしていたアンナさんと、
道中を共にしたこともあります。

ゲスト出演で使用する、
歌詞データやカラオケ音源のやりとりなどもさせて頂きました。


1999年にRBCで、「BOOM BOOM」のライバル的番組「DJ~Debut for J-POP」が誕生したこと、
一連の沖縄ブームが下火になったことなどから、
沖縄アクターズスクールの皆さんとは疎遠になりましたが、
アンナさんとは、個人的にSNSなどを通じて時折連絡をさせて頂いていました。

しばらくして、アンナさんがアクターズから独立して、
ダウン症の子供たちの為のダンススクール「ラブジャンクス」を立ち上げたのは、
ネットや、沖縄テレビが作ったドキュメンタリーなどで知ってはいました。

ただ、やはり、映像の分量としては、沖縄テレビが圧倒的に保有しているはずなので、
興味はありましたが、そこは「ホーム」である沖縄テレビにお任せすることにして、
私は「取材したい」という話をすることはありませんでした。

その後、アンナさんは、振付・ダンス指導の仕事も始めるようになり、
今では、AKB48グループを中心に、全国的な活躍ぶりを見せるようになりました。

ラブジャンクスが沖縄でのレッスンを開始したことも、
情報として知っていましたが、
その頃の私は、自ら企画して取材するという仕事をしていませんでしたので、
取り上げることが出来ませんでした。
(ひたすら魅川憲一郎さんと県内企業にオジャマしていました。笑)

ところが!

先ほどご紹介したツイートリプライから、数週間!

なんと、私に「人事異動」の内示が!!!

異動先(今いる部署)では、主に沖縄BON!!の特集コーナーを制作しています。
つまり、自分発信の企画を番組として実現することが出来る部署に異動になったのです。

チャンス!

…そんなわけで、早速アンナさんにコンタクトを取り、
関係者の方をご紹介頂き、今に至ります。


テレビ屋としてまだペーペーだった頃にお世話になった、
牧野アンナさん。

そんな彼女の夢が詰まった、ラブジャンクス。
そして、そのラブジャンクスが、アンナさんの「ホーム」である沖縄で、
初めてライブを実現させる。

取り上げないわけにはいきません。

ウチナーコンボイ・テレビ屋生活20周年アニバーサリーは、
この20年間にお世話になった人たちに感謝しながら、
番組作りをすすめる、テレビ屋生活のひと段落の総決算。

その期間にふさわしい企画になりました。


尚、もちろん特集の中のBGMは、私が選曲としてますが、
ちょっとマニアックなものになっています。

少し医学的な話が出て来るので、
NHK「驚異の小宇宙・人体」のサウンドトラックは使いましたが、
その他は、例のごとく「知ってる人にはクスッとくる」選曲をしました。

もしかしたら、アンナさんご本人や、
アンナさんフリークの方にしか伝わらない選曲もあると思います。
(え!?ここでこの曲使う!?みたいな)

県内在住で、
ご家族にダウン症の方がいらっしゃる皆さん、
往年のアクターズファンの皆さん、
更には、AKB48グループ(特にSKE48)ファンの皆さん、
ぜひ、ご覧いただけましたら、幸いです。


P.S.
牧野アンナさんは、AKB48の新曲「ハロウィン・ナイト」PRのために作る
MVスタッフバージョンの「選抜総選挙」第1位改め2位に輝きました!
久々にパフォーマーとして画面に映るアンナさんの雄姿にも期待しましょう。

ちなみに、振付の最新作は、SKE48
前のめり」だそうです。そちらもヨロシク♪

ひとつの区切り

 2014-11-02
本日、11月2日は、南城市「尚巴志ハーフマラソン大会」が開かれる。

旧・佐敷町の主催で行われた最後である第4回大会から昨年まで、
私が特別番組を担当させて頂いた。実に9年間。

昨年の特番で、遂に私自らが走って取材するという暴挙に出た。
しかも、無謀にも共に走るランニングキャスターには、
沖縄出身・美女スポーツタレントの上條恵奈美さんを選んだ。

マラソン経験などない私は、4キロほどの地点で途中離脱。
カメラを恵奈美さんに任せ、ニライカナイ橋を過ぎた所から合流、
ゴールまで走った。

マラソン的な結果は散々だったが、恵奈美さんの的確なリポートのおかげで、
私がイメージする「マラソン番組の本来あるべき姿」を描くことが出来た。

そして、アイデアをすべて出し切り、
私の年1回のライフワークともいえるほど愛着ある、
この「尚巴志ハーフマラソン」という番組を卒業した。

今年は、番組全体の制作体制が変わることもあり、
取材の手法などを総合演出を同僚のディレクターに引き継ぎ、
私は、取材スタッフの1チームに付いて、
初参加となるリポーターへの指示に徹する。

長年、総合演出をしていた番組の「一部分を担当する」のは、
感覚的に新鮮である。

いい意味での「世代交代」を存分に楽しみたいと思う。

そして、今日はもうひとつ、私にとって節目となるイベントがある。


ひとつの区切り の続きを読む

元・演劇部

 2010-04-04
むかーしむかし、興南高校に演劇部がありました。

その演劇部に在籍していたのが私。

2年生の時には副部長をしておりました。


3年生の時には、放送部の再興に携わり、その延長線上で

今、仕事をしております。


つまり、野球部とか体操部とかハンドボール部などの
体育系とは、真逆の学生生活を送っておりました。

逆に言うと、分野がかけ離れているため、
あまり今回の野球部ナインを、胸を張って「後輩だ!」とは
言えないわけです。


そんな私が、水曜日に「興南ナイン・凱旋特番」の担当ディレクターを
務めることになりました。

なんたる運命。

とりあえず、同じ高校の大先輩であるお花屋さんの社長さんに
お願い事をしました。


水曜日の午後3時55分から放送です。

ただいま、別の作品づくりを進めながら作業中。


明日は、会社が休みなので、自宅で作業です。


とりあえず、興南おめでとう!
カテゴリ :昔の思い出 トラックバック(-) コメント(0)
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