2011年仕事納め。明日は、2012年仕事始め。
2011-12-31
いよいよ、2011年12月31日。私の個人的な「振り返り」は、日常ブログに書くので、
こちらでは、2011年の仕事について振り返ってみます。
毎週土曜日の「沖縄BON!!」のスタジオ演出と、
番組内コーナー「魅川憲一郎のオジャマするわよ~」を
月に1~2回のペースでシフト担当するのが、今年の主な仕事でした。
3月9日(水)の深夜(つまり3月10日の未明)に、
高校入試速報の生放送を担当した2日後…、
東日本大震災の発生。
「ひと仕事」終えた後だったので、残務処理など、
少し一息ついていた時期でした。
ちょうど3月11日(金)は、
番組のMCたる狩俣倫太郎アナと唐真久乃さんが、
同じ会社のディレクターと共に、番組で募ったツアー企画で、
東京ディズニーリゾートへ出かけていました。
別の撮影で、上司と同僚も東京へ出かけていただけに、
他人事ではない出来事でした。
翌週の沖縄BON!!、
もともと私が担当ではありませんでしたが、
急遽生放送が組まれることになり、
1時間30分の拡大版を私が務めることになりました。
募金チャリティーを含めた音楽企画。
LAとSkype中継で高良結香さんにも歌って頂きました。
MCが被災するという状況は、
他のどの番組とも違う意味を持っていました。
だからこそ、慎重に演出をしました。
6月~8月には、毎年恒例の
「ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブルと、
沖縄の中学生高校生の吹奏楽」を取材する特別番組を担当。
これはもうライフワークです。
9月には、魅川さんとの多良間島取材があり、
10月は那覇大綱挽まつり。
11月に尚巴志ハーフマラソン・第10回記念大会と、
ここまでは例年通りの仕事状況でしたが…
11月末以降がトンでもなく予想外でした。
現在も進行中のプロジェクト。
私は、演出というより、制作事務的な仕事をメインにやっています。
プロデューサー的な業務と言えば聞こえはいいですが、
やったことない作業が多く、右往左往しながら、日々働いています。
NAHAマラソンが、遠い昔のようです。
今日、とりあえず仕事納めでした。
でも、明日は仕事始めです。
このプロジェクトは2月の初旬に完成予定。
最後まで気が抜けません。
頑張ります。
そんなわけで、今年も一年、お世話になりました。
2012年も宜しくお願いします。
OLEっち
2007-10-30
4〜3年前に関東FM3局とRBCiラジオで放送されていたラジオ番組である。 簡単に言うと「オーディション番組」。
リスナー投票によって選ばれたアマチュアミュージシャンが、沖縄に送り込まれ、沖縄での下宿生活の中で、毎週出題されるミッション(お題)に合った曲をつくり、毎週金曜日に豊見城のアウトレットモールで行われる公開生放送の中でライブをしていく、というモノだった。
私は、そのテレビ版に携わっていた。
番組開始から遅れること3ヶ月、始まった番組が「OLEっちTV R-pops Park」。
完全なテレビ版と言うよりは、ラジオ番組を取材して再構成したもので、テレビ独自のコーナーも存在した。
低予算だったので、私が1人で撮影〜編集〜ナレーションをしていた。
今日は、そのOLEっちに参加していたミュージシャンの「凱旋ライブ」。
第7号チャレンジャーの「DOG FOOD」さん、
第9号チャレンジャーの「KAO」さんに加え、
KAOさんが、沖縄生活の中で出会ったミュージシャン、
「ちえみジョーンズ」。
そして、DOG FOODさんが東京で知り合った沖縄出身のミュージシャン「玉城まさゆき」さんを迎えてのライブ。
私は、当日の映像を再編集して持っていった。
4年前に関わっていた番組だったが、1人で手作り感覚でやっていた番組だったので、色々思い入れがあった。
あまり、番組関係者と仲良くならない私であるが、
OLEっちに関しては、ラジオ側のスタッフや、パーソナリティの人たち、チャレンジャーのミュージシャン達と比較的仲良くなった番組だった。
作業的には、毎週ルーティンワークのような番組だったが、何より、充実感があった。
なんか最近、あんな充実感を味わえる仕事してないなぁ、と思いながら、OLEっちの日々を思い返しつつ、ライブの時間を過ごしていた。
いよいよ今度の日曜日は、尚巴志ハーフマラソンである。
爽快な気分で終えられるような仕事をしたいものである。
今度は私の番。
2006-07-03
昨日、高校生主催のチャリティーライブがありました。 中心は那覇国際高校の生徒で、沖縄尚学、首里などの高校からも参加者がいるボランティア団体「Love&Peace」が企画した、スリランカ津波被災者への募金を目的としたチャリティーライブでした。
私は、彼らに協力している那覇市のまちづくり団体にいる、中学時代の先輩にお願いされて、ライブイベントの演出の仕方や、ゲストアーティストのブッキング、告知関係の協力をしました。
耳薬時間でしょっちゅうお世話になっているホイフェスタが出演してくれて、かなり盛りあがりましたが、集客は91人とこじんまりとしていました。数だけ見ると少ないのですが、でも、会場自体のキャパが小さいので、それほど気になりませんでした。
私は本番中、場内スクリーンに投影する映像を撮影していたので、写真を撮るヒマも無く。(ある意味本職に徹していたわけですが…笑。)
私も、高校生時代、似たようなイベントに参加したことがありました。私の時は、ライブでは無く、演劇の舞台だったわけですが、4つの高校が合同で運営した公演で、阪神大震災のチャリティーでした。(このイベントを知っている“アナタ”!そぉ!今言われて、え?アタシの事?って“ドキン”としたアナタ!何かコメントしていきなさい!)
で、その時のイベントで、私は今の職場の人達に告知関係で大変にお世話になりました。高校生の企画したイベントが放送でお知らせされたことに、とても不思議な感情を持っていた事を覚えています。
この時に私は柳卓アナウンサーと知り合い、その縁が膨らんでいき…、そして、今の私があります。
そして、今度は私の番。昔、私が色々な大人にお世話になったように、今度は大人になった私が、高校生達のために何かしてあげる「順番」が回って来たんだという、そんな気持ちでお手伝いさせて頂きました。
イベントが終わったあと、会場に整列した高校生達から
「ありがとうございました。」と一言お礼がありましたが、
正直、私はお礼なんぞ要りません。
もし、本当に私に恩義を感じてくれているなら、
その恩義を私にではなく、
彼らが大人になった時に、その時、同じようなことをしようとしている高校生達に返してあげて欲しい。
そう思うのであります。
伝説の女。
2006-04-18

ひと月ほど前、私は「壮行会」の演出をした。
RBCテレビの様々なジャンルの番組に華を添えてくれた「名幸あい」の壮行会。
8年前に「入社」した彼女は、今日もお昼前!という番組を皮切りに情報番組・バラエティー番組を中心に活躍してきた。
何でもこなす人で、お得意のファッション系の番組から、業界では「汚れ」と呼ばれそうな体当たりのリポート、グルメ、レジャーから、沖縄そばに関する対談の進行役もしたことがあった。
皆さんの記憶に新しいのは「PaBoo!」ではないか?
この写真は、彼女が「PaBoo!」一番最後の出演を終えた直後に撮影した。
彼女がRBCの電波からいなくなってもうすぐ1ヶ月。何か物足りなさを感じているのは私だけだろうか。
それでも、放送は走り続けている。それが現実。
いる時は必要とされるが、いなくても問題にならない。それが人間。
私だってそうなのだろう。絶対に必要とされる人間とは言えない。
だって「石原裕次郎」や「美空ひばり」が生きていなくても、世の中は成立しているし、芸能界は成立している。
必要とされるためには、その場にとどまらなければいけないのだ。
さて、名幸あい。
沖縄のテレビ業界に数々の伝説を残したこの女性は今、
東京で「ブランドのプレス」になるために修行中。
フランス語を勉強しているらしい。
「ファッションの取材」が得意だった彼女は、この得意分野を極めて、今度は「取材される側」を目指して頑張っている。
そのうち、また我々の前に姿を現わす事だろう。
(下のイラストは、壮行会の為に、色付けしてアレンジしてもらった名幸あいのサイン。)
