裏切る覚悟
2013-12-07
12月6日、特定秘密保護法が成立した。それを受けて、
JNN系列で放送中の「報道特集」で、
「沖縄戦・スパイ扱いされた住民の悲劇」という特集が放送された。
その中で、アメリカに付くか日本に付くか苦渋の決断を迫られた、
日系人(沖縄系)の元アメリカ兵が取材に応じていた。
その方は、日本に親戚がいるにも関わらず、
「仕方がない」ということで、両親の故郷を「裏切る」決断をした。
一方、普天間基地の辺野古移設を公約に掲げ続けた、自民党沖縄県連は、
自民党本部に説得され有権者を「裏切った」。
そうしなければ、これから政治活動を続けられないからであろう。
長い人生の中、重大な決断に迫られることが何度か訪れる。
上に挙げた両者も、その決断に至るには、大変な葛藤があったことだろう。
それを踏まえて、我々は今後、「覚悟」をしなければいけないのだと思う。
沖縄の有名な戦跡で「チビチリガマ」と「シムクガマ」という場所がある。
両方とも読谷村にあるが、チビチリガマにいた人々は集団自決し、
シムクガマにいた人々は米軍に収容され捕虜となったが、命は助かった。
シムクガマにいた人々は「敵国の捕虜になることは、大日本帝国臣民にとって辱めであり、
そのような局面においては、躊躇することなく自ら死を選べ」という
日本の教えを「裏切った」のだ。だから、命が助かった。
今、特定秘密保護法と軍機保護法の極似性から、「戦前への突入」が叫ばれて久しい。
であれば、私たちは「戦前から戦中に何があったか」をおさらいする必要がある。
そうすることで「前回の戦前に先達が進んだ道」とは逆の道を選ぶことが
できるはずである。
それを模索する一方で、「戦時に突入した場合のスタンス」を想像しておく必要もある。
私たちは、現在、「戦争反対」を訴えている。
太平洋戦争の時も、そういう人たちが国民の大半だっただろう。
しかし、戦争というものは、国民の意思とは関係なく始められる。
では「戦時になった場合、私はどう生き抜くのか」。
このことを私たちはイメージしておく時期に突入しているのだ。
戦争反対を訴え続けた場合、「逮捕」される可能性がいずれ出てくるかもしれない。
命の危険にも晒されるだろう。
本人にとって、それが最善の方法ならそれはそれで良い。
しかし、「生き延びる」ことを最重要に考える場合、
もしかしたら、それまでの「戦争反対」という主張を引っ込め
戦争に加担していく必要も出てくるかもしれない。
これは、同じ主張をしていた同志を「裏切る」ことにもなるし、
なにより、自分自身を「裏切る」ことになる。
ここで大切なのは、自分の人生のスタンスの上で、
何を重要視するかではないだろうか。
「生きる」ことを最重要視する場合、その手段は選んでいられない。
家族や友人を置き去りにしてでも生き抜かなければならない局面が
訪れるのが、戦争というものだ。
逆に、「信念」「スタンス」を最重要視する場合、
自分に降りかかるあらゆる困難も乗り越えなくてはならない。
「逮捕」「拷問」「誹謗中傷」などなど。
場合によっては「死」を受け入れないといけないかもしれない。
どちらの道を選んでも、本人がしっかり納得して決断したことであれば、
非難されるものではない。
万が一、戦時に突入した場合、自分は何を最重要視して生きていくのか。
その事を頭の片隅でイメージしながら、戦争反対を叫び続けたい。