何に対する「障害」なのか?
2015-07-18
ウチナーコンボイ・テレビ屋生活20周年アニバーサリー第四弾・沖縄BON!!
特集“一人ひとりのダンス!
~ダウン症児者のダンスチーム「沖縄ラブジャンクス」初ライブに密着~
ご覧頂きました皆さん、ありがとうございました。
これから録画でご覧頂く皆様、引き続き宜しくお願いします。
さて、今回の取材で、改めて私が感じた事・考察した事をお話しさせて下さい。
近年、「障害者」を「障がい者」や「障碍者」と書き換える風潮があります。
これは、「害になっているという印象を与える」という当事者団体からの批判を受けて、
メディア側が自主的に引いているガイドラインみたいなものです。
ただ、これは「文字面」の話であって、「音」としては変わらないわけです。
「しょうがいしゃ」に変わりはない。
要するに「上っ面の変更」だけでごまかしているわけです。
以前、乙武洋匡氏が、フジテレビのワイドナショーで、
「表面上の字面を変えることには全く意味が無くて、
障害者に対する意識や本質を変えないと意味がない」と述べられていましたが、
まさしくその通りなのです。
では、なぜ「障害者」を「障害者」と呼ぶようになったのか。
1970年に制定された「障害者基本法」の第二条では、障害者について、
「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)
その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、
障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は
社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。」 と定義しています。
また一方で、発達障害者支援法第二条第二項では、発達障害者について
「発達障害を有するために日常生活又は社会生活に制限を受ける者」 と定義しています。
戦前において、障害者のことは「不具者(ふぐしゃ)」「不具癈疾者(ふぐはいしつしゃ)」などと表記され、
一般には「片輪者(かたわもの)」と呼ばれていました。
※参照・一部引用:wikipedia
尚、この「片輪者」という表現は、現在は「放送禁止用語」とされ、テレビや新聞などでのメディアで
目にすることはなくなったが、前述の乙武氏は、
この「カタワ」という表現をtwitterでちょくちょく意図的に使用しています。
更に過去に遡ると、明治以前の日本では、
身体障害者・障害児が、特別な対象として畏敬されていた記録もあります。
よくよく考えれば、伝承の神々には、目がひとつしかない存在がいたり、
たくさんの手にたくさんの目がついている存在だっていたりしますよね。
では、「ごくまれにしか生まれない特別な存在」であった人たちが、
なぜ、「差し障りがあって害がある存在」と定義されるようになったのでしょうか。
それは、戦後の日本に訪れた、高度経済成長に原因があると思うのです。
一般的に言われる高度成長の期間は、1954年から1973年。
前述の障害者基本法が制定された1970年は、まさに、
この高度経済成長の「完成期」にあたります。
日本全体を「戦後復興」と「経済大国を目指した成長」が包み込んでいた時代。
つまり、日本が「全体主義」で動いていたわけです。
全員で前を向いて、日本を経済大国にしていく。
そんな中において、確かに身体の一部が動かなかったり、
学習能力が他の人たちに比べて低い人たちは、迅速な経済構築にとって
「差し障りがあり」、計画遂行に向けた中では「害がある」存在でしかなかったわけです。
つまり、この国が歩んできた「全体主義」の中で「障害者」という呼び方は誕生したのだと
私は考察するのです。
今回取材した「ダウン症候群」の人たちは、
21番染色体が3本あるという、遺伝子の構築段階で起きる「自然現象」によって、
生まれた時からそういう性質の身体で生まれた人たちなのです。
つまり正確には、ダウン症候群は「病気」でもなければ、
「障害」でもありません。
ダウン症による合併症で、社会生活に参加できなかったり、
企業への就職が難しかったり、周囲とのコミュケーションがスムーズにいかないことによって、
彼らが「社会の全体主義」にとっての「障害」になってしまうのです。
ほかの人たち…いわゆる「健常者」が、その人たちを指して「障害者」と呼ぶのは、
健常者側のエゴイズムに他なりません。
私が思う本当の意味の「障害者」とは、後天的に障害になってしまった人たち。
事故や病気によって、元々の身体に「害」が生じ、
今まで自分で出来ていたことが出来なくなることで、
生活に「差し障り」がでてくる。
なので、先天的に「身体の違い」を持って生まれた人たちを、
「障害者」というくくりでまとめるのは、そろそろやめるべきだと私は思うのです。
だって、その姿や性質が、その人の「デフォルト」なわけだから。
ダウン症候群の人たちでも、軽度の方は、普通に会話が出来るし、
外見も、ダウン症候群でない人たちとほとんど変わりません。
一方で、心臓病などの合併症を抱えていたり、
言葉による意思疎通が困難な方もいて、その個性もバラバラです。
だから、「ダウン症の人たち」とどう接するべきかという発想ではなく、
「この人」とどう接するべきかという、個人に合わせた発想に転換していく必要が
あるのだと思います。
これは、LGBTも一緒。
ゲイ・レズビアンと性同一性障害は違うし、
ゲイの女装家がいれば、レズビアンの男装家もいるのです。
「在沖米軍」の中にも、
戦争反対の想いを持った軍人さんもいるし、日本や沖縄が大好きな軍人さんもいる一方で、
地元住民に危害を加える軍人もいるから、何か事件が起きた時、
ひとくくりで「これだから軍人は!」と捉えるべきではない。
「健常者」の中にも、理数系もいるし文系もいるし、
背が高い人・低い人、美形な人・そうじゃない人、
歴史に詳しい人・疎い人、記憶力がいい人・悪い人、
その個性はそれぞれ違います。
社会の多様性とは、
「一括りにせず、個人一人ひとりと向き合っていく社会」のことを
言うのではないかと思います。
もしかすると、「障害者」を見て、「障害者だ」とひとくくりに捉えてしまう思想そのものが、
「障害」なのかもしれません。
今回、取材に応じて頂いた、当事者のご家族、
そして、関係団体の皆様に深く感謝申し上げます。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
【番組放送告知】ダウン症児者のダンスチームを取材しました
2015-07-17
TwitterとFacebookで頻繁に更新しているので、なかなかコチラのブログが…(苦笑)。
さて…
ウチナーコンボイ・テレビ屋生活20周年アニバーサリー
第四弾の番組が、明日土曜日に放送されます。
(またしても前日告知…汗)

沖縄BON!!
7月18日(土)正午~午後12時57分放送
RBCテレビ(デジタル3チャンネル)
MC/狩俣倫太郎(RBCアナウンサー)・知念臣悟(パーラナイサーラナイ)・玉那覇由規
<特集コーナー>
一人ひとりのダンス!
~ダウン症児者のダンスチーム「沖縄ラブジャンクス」初ライブに密着~
遺伝子の21番染色体が3本あることで、
成長が遅かったり、合併症が起きたりする先天性の性質のことを「ダウン症候群」と言います。
そんなダウン症候群の子どもや若者たちが参加するダンスチーム「ラブジャンクス」。
2002年に活動を開始したラブジャンクスが、
沖縄でのレッスンを始めて今年4年目。
そして、去る6月21日に、沖縄ラブジャンクスが初めての単独ライブを開催。
関東・関西のチームから応援も合わせた106名が、
会場全体に、そのパワーをぶつけました。
今回の特集では、ライブ本番のダイジェストに加え、
沖縄ラブジャンクスのレッスンの模様、
ラブジャンクス誕生の背景、参加するメンバーの素顔に密着します。
ダウン症児者を家族に持つ皆さんはもちろん、
ダウン症について何も知らないという皆さんにも、
ぜひ、ご覧頂きたい特集です。






















この企画のきっかけは、
ラブジャンクス代表の牧野アンナさんから頂いた一通のツイートリプライからでした。
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牧野アンナ @lovejunx210
@Uchina_Optimus 6/21の沖縄ラブジャンクス1stライブ、
ぜひRBCでも取り上げてくださーい\(^o^)/
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沖縄にずっと住んでいる30代以上の方には、おなじみの名前かもしれませんね。
沖縄アクターズスクールのチーフインストラクターとして大活躍されていました。
沖縄テレビの「BOOM BOOM」という番組内でも発揮されていた、そのスパルタ指導ぶりが
記憶に残っている方もいるでしょう。
(ちなみに、BOOM BOOMのMCをしていたDJ岩井こと岩井証夫氏は、
現在、特にTBS系列のスポーツ特番などで、ナレーターとして活躍中!)
私がテレビの世界に飛び込んでから1年後の1996年、
ちょうどSPEEDがデビューしました。
安室奈美恵さんを筆頭に、まさに「沖縄ブーム」が到来していた時期でした。
そして、その人材を発掘・育成していた沖縄アクターズスクールにも当然注目が集まりました。
沖縄テレビでは、アクターズ選抜メンバー・B.B.WAVESが出演する音楽バラエティ番組を放送していましたが、
琉球放送では、特別番組やレギュラー番組「ゆん卓サンデー」の特集などのドキュメンタリーで、
アクターズスクールのレッスンなどに密着し、
生徒たちの指導者として活躍していたアンナさんも取材しました。
その際私は、ADとして取材に同行したり、編集をしたり、
時には、小型カメラを持って撮影に向かったりもしました。
(ちなみに、そのドキュメンタリーを担当していたプロデューサー兼ディレクターが、
私にテレビのいろはを教えてくれた師匠です。)
出演者のアテンド担当として、
ゲストだったB.B.WAVESの引率をしていたアンナさんと、
道中を共にしたこともあります。
ゲスト出演で使用する、
歌詞データやカラオケ音源のやりとりなどもさせて頂きました。
1999年にRBCで、「BOOM BOOM」のライバル的番組「DJ~Debut for J-POP」が誕生したこと、
一連の沖縄ブームが下火になったことなどから、
沖縄アクターズスクールの皆さんとは疎遠になりましたが、
アンナさんとは、個人的にSNSなどを通じて時折連絡をさせて頂いていました。
しばらくして、アンナさんがアクターズから独立して、
ダウン症の子供たちの為のダンススクール「ラブジャンクス」を立ち上げたのは、
ネットや、沖縄テレビが作ったドキュメンタリーなどで知ってはいました。
ただ、やはり、映像の分量としては、沖縄テレビが圧倒的に保有しているはずなので、
興味はありましたが、そこは「ホーム」である沖縄テレビにお任せすることにして、
私は「取材したい」という話をすることはありませんでした。
その後、アンナさんは、振付・ダンス指導の仕事も始めるようになり、
今では、AKB48グループを中心に、全国的な活躍ぶりを見せるようになりました。
ラブジャンクスが沖縄でのレッスンを開始したことも、
情報として知っていましたが、
その頃の私は、自ら企画して取材するという仕事をしていませんでしたので、
取り上げることが出来ませんでした。
(ひたすら魅川憲一郎さんと県内企業にオジャマしていました。笑)
ところが!
先ほどご紹介したツイートリプライから、数週間!
なんと、私に「人事異動」の内示が!!!
異動先(今いる部署)では、主に沖縄BON!!の特集コーナーを制作しています。
つまり、自分発信の企画を番組として実現することが出来る部署に異動になったのです。
チャンス!
…そんなわけで、早速アンナさんにコンタクトを取り、
関係者の方をご紹介頂き、今に至ります。
テレビ屋としてまだペーペーだった頃にお世話になった、
牧野アンナさん。
そんな彼女の夢が詰まった、ラブジャンクス。
そして、そのラブジャンクスが、アンナさんの「ホーム」である沖縄で、
初めてライブを実現させる。
取り上げないわけにはいきません。
ウチナーコンボイ・テレビ屋生活20周年アニバーサリーは、
この20年間にお世話になった人たちに感謝しながら、
番組作りをすすめる、テレビ屋生活のひと段落の総決算。
その期間にふさわしい企画になりました。
尚、もちろん特集の中のBGMは、私が選曲としてますが、
ちょっとマニアックなものになっています。
少し医学的な話が出て来るので、
NHK「驚異の小宇宙・人体」のサウンドトラックは使いましたが、
その他は、例のごとく「知ってる人にはクスッとくる」選曲をしました。
もしかしたら、アンナさんご本人や、
アンナさんフリークの方にしか伝わらない選曲もあると思います。
(え!?ここでこの曲使う!?みたいな)
県内在住で、
ご家族にダウン症の方がいらっしゃる皆さん、
往年のアクターズファンの皆さん、
更には、AKB48グループ(特にSKE48)ファンの皆さん、
ぜひ、ご覧いただけましたら、幸いです。
P.S.
牧野アンナさんは、AKB48の新曲「ハロウィン・ナイト」PRのために作る
MVスタッフバージョンの「選抜総選挙」第1位改め2位に輝きました!
久々にパフォーマーとして画面に映るアンナさんの雄姿にも期待しましょう。
ちなみに、振付の最新作は、SKE48の
「前のめり」だそうです。そちらもヨロシク♪