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【重要なお知らせ】 mixi友の皆様へ

 2016-03-29
mixiで繋がっている皆さん、こんにちは。

そろそろ40代に突入するに当たり、
mixiとの付き合い方を考え始めています。

一番最初に登録したSNSなのですが、
最近は距離が遠のいています。

でも、すぐ登録解除するには名残惜しく…。

ただ、これからゆっくり年を重ねていくにあたり、
私のプラットフォームを整理していかなくては、とも考えているのです。

mixiにいらっしゃる皆さんは、mixiとどのように付き合っていらっしゃいますか?

お聞かせ下さい。

あと、他のSNSとの良い使い分けなど、お聞かせ下さい。

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小学生の私に「39」~“南野陽子さん”に想う①~

 2016-03-04
※とても長い記事になってしまったので、3部作にしました。
お時間のある時にお付き合い下さい。



2016年2月21日。

昨年9月からの私は、沖縄BON!!の「KOZAナイトツアー」「ハロウィン」に加え、
「新春民謡紅白歌合戦」など様々な特番に向き合いつつも、
その2月21日を目指して走っていた。

きっかけとなったのは、
「ゴールデン☆アイドル 南野陽子 30th Anniversary」というCDの
リリースが決定、予約が開始されたことだ。
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南野陽子さんがデビューしたのが、1984年。(CDデビューは1985年)
その頃の私は8歳。小学2年生だった。

幼い頃の僕は、一風変わった少年で、
まぁ、そもそも、沖縄には無い苗字なので必然的に目立つわけだが、
そこに輪をかけて、校内放送のテレビで落語を披露してみたり、
遠足のバスの中で司会をしてみたりと、
まぁ、今やってることの原点とも言える様な少年時代を過ごしていた。

テレビっ子だったが、好きなテレビ番組は、ニュースとバラエティー。
登校前に見る、朝の「NHKニュースワイド(今のおはよう日本)」が大好きで、
バラエティーは「欽ドン」「全員集合」派だった。

一方、小学生が好みそうな「アニメ」「戦隊モノ」「ライダー」「アイドル」には
とんと興味を示さなかった。

そんな私が、確か小学5年生の頃(だったと思う)に、初めて「芸能人のファンクラブ」に入った。
それが、南野陽子さんのファンクラブだった。

ファンクラブの名前は「NANNO CLUB」

親衛隊や生粋のファンの方には申し訳ないが、
僕はそれまで南野陽子さんについてあまりよく知らなくて、
意識的に南野さんのテレビ番組を見るというようなことはなかった

まぁ、アイドル自体に興味が無かったので…。

そんな私が南野陽子さんのファンクラブに入った理由は、
1)南野さんが初恋の女の子に似ていた(アゴのホクロも同じ位置)ことと、
2)友人が南野陽子さんのファンだったこと
良くも悪くも私は奇特な少年で、勉強もスポーツも苦手、
名前は本土苗字、比較的浮きがちだったが、
アイドルの話をする友人が大人っぽく見え、何か背伸びをしたかったんだろう。

母に頼んで、ファンクラブに入会させてもらった。
確か、2年くらい入ってたと思う。(中学入学と同時に辞めたはず。)

その後、中学2年生で海援隊の音楽に出会い、
高校生で武田鉄矢さんのファンクラブに入るわけだが、
やはり、南野陽子さんの存在は他の芸能人と違う感覚で
私の目に映るようになっていた。


Facebookを始めて、南野さんが公式Facebookページを開いているのを知り、
迷わず「いいね」を押し、継続的に南野さんの投稿・情報が
確認できるようになった矢先のCDリリースとコンサート開催の報。

ご本人も「もしかしたらこれで最後」とコメントされていたので、
簡易保険の満期保険金という臨時収入を活用して、
早々と飛行機を押さえ、宿を押さえ、
CDを購入し、別々の先行予約でコンサートチケットをゲットし、
日々使うお金を節約しながら、2月21日に備えてきた。

今、私は39歳。
前のブログにも書いたが、40歳を手前に、これまで「今の私」を作るために
お世話になってきた人たちや事象たちへ感謝(39=サンキュー)しながら時間を過ごしている。


そんな中、南野陽子さんのコンサートへ向けて着々と準備を進める自分の心理は
一体なんなのか
、ふと考えてみた。

そうだ。小学生の頃の自分への「感謝」なのだ。

実は、中学生の頃から追いかけ続けている武田鉄矢さんは、
この業界に入ってから、一度「お仕事」をさせていただくチャンスに恵まれたことがある。


2002年に、海援隊が沖縄で行うトーク&ライブツアーの主催が我が職場がある放送局で、
主管部署の局長が私のテレビの師匠であったこともあり、
ファンクラブ会員として、お手伝いしないわけにはいかなかったのだ。
直前のテレビ・ラジオキャンペーンのゲストコーナー構成、
ライブで1曲カット割りして録画させて頂いたり、
開演前・終演後の陰アナウンスもさせていただいた。
つまり、20代半ばで、私は「中学生の頃の私」に対する
感謝のご褒美を獲得していたのだ。


しかし、それ以来獲得していないもうひとつの「ご褒美」があった。

であるならば、今回の南野陽子さんコンサートへの遠征が紛れもなく、
グレることなく、しっかり小学校を卒業してくれた、
“子供の自分”に対する感謝のご褒美
なのだ。

コンサート当日、会場で南野陽子さんのステージを観ながら、
私は心の中で、“子供の自分”にずっと話しかけていた。

「コツコツ頑張れば、キミがファンクラブに入っている
南野陽子さんに会える将来が待っているよ。
今までありがとう。」



(第2弾に続く)


NANNO 30th ANNIVERSARY~“南野陽子さん”に想う②~

 2016-03-04
今回の南野陽子さんコンサートのチケット入手方法は2つ。
まず「Yahoo!チケット」による先行抽選予約。
もうひとつは、CD『ゴールデン☆アイドル 南野陽子 30th Anniversary』
封入されていた先行購入予約券による抽選予約。
運よく、二つの抽選に運よく当たり、更に2月21日の昼と夜が手に入ったので、
この日1日がコンサートDayになった。

大阪公演が2月16日に行われたので、
その日はPCにかじりつき、昼過ぎからYahoo!リアルタイムと、
Twitter検索を開いて待機。
大阪のコンサートに参加している皆さんが、次々とリポートしてくれる会場の様子、
グッズ情報や混み具合をチェックして、21日に向けた心の準備をしていた。


セットリストを上げてくれた方がいて、
これには賛否両論の意見があったが、僕にとっては有難かった。
そもそも僕は、それまで南野さんの曲について詳しくなかったので、
5枚組のCDから、歌われる曲を抽出し、
自分で曲順に並べたCD-Rを作って、
コンサート前日までずっと聴いて予習が出来たからだ。

さて、2月21日。
会場は、品川プリンスホテル裏にある、
ステラボール

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ロビーには、南野さんの若い頃のポスターやグッズが展示されており、
撮影OKだったので、来場者が片っ端からスマホ片手に撮影をしていた。
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コンサート会場は撮影NGの場合が多いの中、
撮影できるスペースがあるのは、来場者にとって思い出にもなり、
最近は、SNSでの「報告」用の画像も必要になるから、
とてもいい趣向だなと思った。

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ちなみに、来場者の8割近くが男性で、
私と同世代か年上の皆さんが半数以上だったろうかと思う。

東京滞在の予算も限られていたので、
購入したグッズは、スウェットシャツとダイアリー付きパンフレット、
そして、コンサート中に使うサイリウムペンライトのみに絞った。
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一万円買ったので、おまけで昔のコンサートキーホルダーが付いてきた。
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いよいよ、コンサート本編。

スケバン刑事Ⅱの映像から始まったコンサートは、フルバンドによる演奏で、
CD自体の音源を再現しつつも広がりのあるサウンドを聴かせてくれた。

衣装替えの際には、
スクリーンに昔の映像や画像をMV風に編集したショートムービーや
出演されたグリコやJRのCMが流れる趣向もあり、
南野さん自身の振り付けも、当時の振りを忠実になぞりながらも
若い頃に比べて大振りで、女優として磨いてきた豊かな表現力で魅せてくれた。


途中のトークでは、重ねた年齢を自虐的にネタにしつつも、
自分、スタッフ、ファン含めて「人生の上で良い時悪い時を乗り越えてきた今の私たち」が
共有している時間を大切にしているのがとてもよく伝わってきた。

もちろん1公演ずつ参加している方もいらっしゃっただろうが、
Twitterなどを追っかけていると、東京4公演どころか、
大阪2公演から全て追っかけている方もいらっしゃるようで、
昼公演では最後まで座ったまま聞いていた観客席も、
夜公演…千秋楽の最後の3曲はみんな総立ち。
アンコールの後もスタンディングオベーションで
南野さん、バンドメンバー、スタッフの皆さんに感謝の気持ちを伝えていた。
南野さんも最後の曲の途中で涙ぐむ一幕もあった。

コンサート中私は、初めてペンライトなるものをガシガシ振っていた。
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それぞれの回のコンサートが終わってからは、握手会が開催された。
CD「ゴールデン☆アイドル」の特典として握手券が封入されていたからだ。

コンサートは昼にも参加したが、握手会は夜を選んだ。
並んでいる人も多く、時間もあまりないので、AKBグループの如く「10秒」とはいかず、
だいたい5秒くらいだったと思うが、両手で握手をしながら
一言、言葉を交わすことが出来た。

私「沖縄から来て(ここでちょっと噛む)本当によかったです」
ナンノさん「まあ遠いところからわざわざありがとうございます」
私「ありがとうございました」
ナンノさん(手を振ってくれて次の人へ)

仕事柄、全国的に活躍する芸能人には結構お会いしているが
(例:武田鉄矢さん、西田敏行さん、島崎和歌子さん、友近さん…etc)、
やはり、小学校の頃から特別な存在として意識している方にお会いするのは、
緊張の度合いが違うもので、握手をさせていただいたが、
お顔を見るのと、会話に意識が行き過ぎて、手の感触をあまり覚えていないのだ。

宿に戻る電車の中で、
そして、部屋でウイスキーを飲みながら、
コンサートの様子を思い出しながら、ふと感じたことがふたつある。

(最終章に続く)


「大量生産」の功罪~“南野陽子さん”に想う③~

 2016-03-04
※注:本文の中で「アイドル歌手」についての分析見解が出てきますが、
私はいわゆる「ドルヲタ」でもなく、それほど詳しくありません。
という立場から、とても俯瞰して「アイドル」を見た時の、私なりの感想を書いています。
「ガチヲタ」の皆さんからすれば、認識不足の部分があるかと存じますが、
それを前提にお読み頂ければ幸いです。



2月21日、東京・品川のステラボールで参加してきた、
南野陽子デビュー30周年記念コンサート -NANNO 30th ANNIVERSARY-
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あの空間にいて、思ったことが二つある。

ひとつは、あの空間にいたほとんどの観客が、
南野さんの昔の曲を懐かしんでいただけでなく、
自分の若い頃や、これまで歩んできた人生を振り返っていたのだ、ということ。

例えば、それが毎年コンサートを開いている歌手の方なら、
そこまで感傷にひたることはないのだろう。

ただ、25年ぶりに開かれるコンサートなので、
集まった人たちの心は、一気に「当時の自分」に戻ったに違いない。

しかし、心は「当時」に戻りつつも、
南野さんもファンの皆さんも、それぞれが25年の間に起こった、
様々な人生の山と谷を噛み締めていたのだ。


南野さんは、その活躍ぶりとは裏腹に、
実は波乱万丈な芸能生活を送っている。

初期の頃に所属していた事務所は、小さな音楽事務所だったために、
マネージメントスキルがあまり無く、南野さん自身が、
テレビ局や雑誌社に押しかけ営業をかけた結果、
グラビアやドラマの仕事を獲得したのだという。

更に、音楽事務所が、女優としてのマネージメントを別の会社に
委託したため、女優としての仕事と、歌手としての仕事による
ダブルブッキングが発生し、度々迷惑をかけたのだそう。
それにより、独立したのだが仕事が激減したそうだ。
(特にテレビ。このへんの芸能界の体質は今も変わっていないんだな。)

その後、現在の事務所に所属し、仕事の幅を広げたことで、
現在の安定した状況にいたるわけだが、それでも、
現在も度々、夫のスキャンダル記事に悩まされている。

そんな波乱万丈な南野さんを知っているファンの皆さんだからこそ、
ステージの上の南野さんの姿に、
自分の歩んできた人生を重ねながら見ていたのだ。


おそらくあのコンサートは、私もそうだが、ファンの皆さんにとって、
「今まで人生を歩んできた自分自身」に対するご褒美だったに違いない。


もうひとつ。

後日放送された、フジテレビ「ノンストップ!」での舞台裏ドキュメントでも描かれていたが、
25年歌っていないブランクはかなり高いハードルだったのであろう。

ノンストップで取材されたのは、私が行った前日の昼公演。
少々歌声が安定していなかったように思えたが、
私が行った日曜日の、特に夜公演にもなると、
常に歌っていたかのような安定感のある歌声を聴かせてくれた。

25年ブランクがあっても、すぐに本意気のパフォーマンスが取り戻せるのは、
やはり「丁寧に仕上げられた」アイドル歌手だったからだ。

「アイドル歌手」というジャンルの存在は、1970年代に入ってから生まれたとされていて、
小柳ルミ子さん、南沙織さん、天地真理さんあたりがその源流と言われている。

それから80年代にかけて様々なアイドル歌手が登場するが、
その人たちはみんな「個」だったように感じる。

もちろん、“ソロ”という意味合いもあるが、
三人のキャンディーズも、二人のピンク・レディーも、
セットでひとつの個性を表現している、「個」なのだ。

そして、「個」のアイドルたちは、「丁寧に」作られている。

本人はもちろん、作詞家・作曲家・編曲家・演奏者・演出家・撮影家をはじめ、
周りを取り囲むスタッフの人たち全員が、まるで職人の如く、
一人の「アイドル歌手」という作品に向かって、丁寧に仕事をしている。

もちろん、社会が「ひとつの方向」に向かっていた時代だからこそ、というのもあるが、
職人達が丁寧に仕事をしているからこそ人気が出て、親衛隊という組織が作られ、
人々が集まり、CDが売れ、グッズが売れ、ファンクラブの会員が増え、
映画の興行収入が上がり、ドラマや歌番組の視聴率が上がり、ビジネスになっていく。

それが、70年代~80年代アイドルの姿だったのではないか。

そして、職人たちが丁寧に作った「高品質の」作品だからこそ、
25年ブランクがあっても、しっかりと当時の色を再現することが出来るのかもしれない。

その流れを変えるのが、1985年にデビューした「おニャン子クラブ」。
素人の女子大生を大勢出演させて、その中から人気メンバーを作り出していくという、
秋元康さんが考案したシステムは、今のAKB48グループに受け継がれていく。

モーニング娘。も、グループではあるが、
彼女達の原型は、オーディションの落第者のリベンジユニットである。

グループ名を残しながら、メンバーの脱退・卒業・新加入を繰り返すことで、
新陳代謝を図りながら「ブランド」を維持している。


彼女達は、集まっているがキャンディーズのように、
「個」を形成しているわけではないように思える。

「箱推し」と呼ばれるグループ全体のファンもいるが、
一人ひとりに別々のファンがいて、メンバーの個性もそれぞれ。

更に、今のアイドルグループのメンバーは、
アイドルが「通過点」になっており、将来はどんな風になりたい、という前提がありながら、
一定の時期が過ぎれば、「卒業」を意識していくのだ。

もっと言うと、現在は人々の価値観がバラバラで、ひとつの方向に向いていない。
それは、大企業至上主義が終焉していることからもわかるが、
みんなで誰かを応援しようということよりも、「自分だけのアイドル」を応援したい、という
傾向があり、ファンによるグループも単純に「利害が一致した人たちによる組織」のように思える。

そういう視点で見ると、今のアイドルは
「大量生産」によって生み出された「集団」であり、
「どれか当たる」という姿勢で作られている感が否めない。

そして、「個」のアイドルが持っていた「品質」の変わりに、
握手会・写メ会など「ファンとの距離を縮める」という違う付加価値をつけることで
売り上げを保っている。

これは、結構な値段で敷居が高いが「品質は最高」の高級レストランと、
安くて敷居が低いが「品質はそれなり」のファーストフード店に例えられないだろうか。

果たして、今のアイドルグループのメンバーの中に、
25年後、今を彷彿とさせるパフォーマンスを展開できる
アイドルが、何人いることだろうか。



最近、ももいろクローバーZが人気だ。
しかも、現在の若いアイドルにも関わらず、50代以上のファンが多くついている。
私の周りにも、数人、50代以上のももクロファン(モノノフ)がいる。

それはおそらく、私の解釈だが、
ももいろクローバーZ「個」であるからなのだろう。
もちろん、一人ひとりに「推し」が着いているのだが、
あのグループは「ももクロ」としてひとつの個性を生み出している。

「個」を演出しているという点で、
70年代~80年代のアイドルと共通しているところが、
中年男性の人気を集めているのだろうなぁ、ということを
南野陽子さんの30周年コンサートを観て感じた。

40歳を目前に、様々な想いと、感情と、思考と、時間と、ご褒美をくれた、
南野陽子さん、本当にありがとうございました。
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(了)


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